ローマから日本が見える / 塩野七生

ローマから日本が見える


面白い。


ローマ人の物語シリーズを
読んでいなくても非常に為になると
思う


これを読んでローマ人の物語
読んでさらに理解が深まった。

「自分らしさ」を捨てた改革は無意味である。
ローマ人たちは、ローマ人としてのアイデンティティ
捨ててまでハンニバルに勝ちたいと思わなかった。

どんな制度であろうと、
それが人間の作ったものである以上
「規模の限界」は免れない

どんなに悪い事例とされていることでも、
それが始められたそもそものきっかけは
立派なものであった

改革はむずかしい。
なぜならどんな改革であれ、それによって損する人たちが必ず現れる。いわゆる既得権益層の存在だ。
この人たちを言葉によって、つまり理性によって説得しようとするのは絶望的と言って言いい。「話せば分かる」というのは民主主義の理想ではあっても、それのみで成功したことはほとんどない。
というのもふたたびカエサルの言葉を引用すれば、「人は見たいと欲する現実だけを見ようとする」存在であるからです。改革によって既得損益が失われることに心を奪われている人たちに、改革の意義を説いたところで理解されないのも当然だと思わねばならない。
しかし、かといって彼らの反対に耳を傾けてしまえばどうなるか。結局どんな改革も大幅な修正をされて小幅の改良に変わってしまうのが落ちです。
したがって改革をやろうとすれば、結局は力で突破するということしかないということになる。そのことを誰よりも分かっていたのがスッラであり、カエサルであった。

改革者は孤独である。
カエサルの文章はそれが口から出ようとも手で書かれようとも、次の特質を表していることでは変わりはない。つまり、品格が高く、光り輝き、壮麗で高貴であり、何よりも理性的である」
改革とは自分たちの苦境を直視することから始まる以上、反省や自己批判といった後ろ向きの話になりがちです。しかし、それをやっていたのでは、かえって改革をやる意欲は生まれてこない。さらに言えば、改革によって社会が変わると言われて、素直に歓迎できる人は少数派で、将来に対する不安を感じるのは当然の心理です。
この点、カエサルの演説はたとえ苦い現実を語っても、徴収は逆に元気が与えられ、明日への希望を得た気分になったと言います。
新しい時代を作ることになるほどの大改革は、誰にでも理解されるものではない。その意味で改革者とは孤独であり、孤独であるが故に支持者を必要としているのです。アウグストゥスが演技をしてでも元老院を味方につけようとしたのも、まさにそのためでした。