知識

「知識」についてずばっとくる記事を発見

私は書きものを通じておもに「知識についての知識」について語っているが、これをレフェランスとして用いるためには、それが「コンコルダンス」や「辞書」程度の信頼性があることを確認しなければならない。
梯子を使って二階に上がろうと思うなら、その梯子が腐っていないか、釘が抜けていないか点検しなければならないのと同じである。
私は「知識についての知識」について語っている。
その信頼性は私の書きものを大量に読むことによってしか確証されない。
もちろん「こんなやつの言うことは信頼できない」という判断を下すのは一秒で済む。
しかし、「この人の言うことなら信用ができる」という判断がくだせる人に出会うまでやはり大量の書き物を読み続けるしかない。
「自分が知っていること」は知の文脈の中でどのようなポジションを占めているのか。
「知識についての知識」を得るためのショートカットは存在しない。
そういうたいせつなことはグーグルで検索しても誰も教えてくれない。

知識についての知識について - 内田樹の研究室


まさに田坂さんが言っていた、

「知識社会」とは、「知識」が価値を持つ社会ではない
「知識社会」とは、「知識」が価値を失っていく社会

である。


そして元ネタとなる町山さんの記事

人間の怖いところは、さっきまで知らなかったことでも、そうして知った途端に前から知っていたような気持ちになり、自分が偉いような気になるところだ。

「知っている」それ自体にはもはや何の価値もない - 映画評論家町山智浩アメリカ日記


これはよくわかる。
なぜなら自分も経験があるからだ・・・。


それが、
その人自身の言葉で書かれているのか、
他人の言葉なのか・・・


やはりそれにはまさに内田さんが言うように
多くの書き物を読み続けるしかないように思う。


自分もまだまだ未熟だが、
それなりに本をたくさん読んだり、社会で経験をして
それらがなんとなくだが、わかる気がする。


最近特に感じることだが、
ある物事や知識やスキルなどを「簡単」という人は
まったくもって信じられない。


これは自分が社会人として経験をしてきて、
ありとあらゆるどのような世界も、
奥が深いんだということを知ったからのように思う。


電話での受け答え一つとっても、
深い世界であるように思う。


これは前の良き上司を通して学べたことだ。


やはり読書を含めて、素直な気持ちで
様々な経験を積むことだな。


近道はない。


頑張ろっ。