リリイ・シュシュのすべて

※ネタバレ注意※

リリイ・シュシュのすべて 通常版 [DVD]

 先週見たスワロウテイルが面白かったので、同岩井俊二監督の作品であるリリイ・シュシュのすべてを見る。岩井氏が遺作にしたいという程の作品である。


 テーマは“イジメ”。なんとも重いテーマだ。

 改めてこの機会に学生だった頃を振り返ってみたが、自分の場合は恵まれていたせいか、この映画のようなひどいイジメはなかったように思う。なので、ちょっとやりすぎだろうと目を覆いたくなる場面も多々あるのだが、このようなイジメが存在するのも事実であろう。1年に数回、いじめを苦にして自殺した学生のニュースを見るが、これに似たようなイジメが行われていたのだろうか。なんとも胸が痛む話である。

 おそらく今でも教育者や多くの人がこのいじめの問題に取り組み、様々な対策を施しているのだろうが、秋葉原で殺傷事件が起きた後にサバイバルナイフを規制するというアホな対策を行っているのを見る限り、似たようなくだらない対策ばかりで、ろくな対策など行っていないのであろう。

 岩井氏がこの映画をどのような意図で作成したかわからないが、なぜイジメが起こるのかというメッセージがこの映画の中に込められているような気がする。まぁ監督がまったく意識していないとはしても・・・自分はこの映画を見ていろいろ考えさせられた。


 この映画を見て思ったことは、やはり人が行うすべての行いにはそれを行う原因、背景があるということである。この映画の場合で言えば、星野がどうやっていじめる立場に変わったのか、ということ、それがこの映画ではいろいろな形で描かれていると思う。

 例えば、沖縄への旅行にて魚に直撃され,また溺れて九死に一生を得る場面、旅行中に途中で出会った男性が事故に遭う場面など。そして実は彼はこの夏休みに父親の会社が倒産して家族が離散していたこと。そしてクライマックスはなんと青猫の正体が彼であったのである。これらの場面から彼の行い(イジメ)の背景をなんなく想像することができる。


 すべての行いには原因がある。


 これが正しい言葉かわからないが、英語で言えば「Everything happens for a reason.」だろうか。ネットで調べると聖書にある言葉らしい。少し意味が異なるが、「原因と結果の法則」「カルマの法則」に近いものもあると思う。

 自分は、その行いが行われた“原因”や“背景”を見つめなければならない、といつも思っている。単純に表面的な出来事のみに対処すると、サバイバルナイフを規制するというアホな対処になってしまう。


 そう思うようになったのはいくつかの自分の経験がある。


 まず1つは、香田さんがイラクで殺されたときだ。以前のブログにも書いたので非常に記憶にある。 リンク:香田証生さん人質事件のまとめ

 あのときは自分が嫌いな「自己責任」という言葉が流行しはじめた頃で、彼が殺されたときに様々なブログを見たのだが、ひどいものだった。どのブログを見ても「自己責任だ」「あの場に行った彼が悪い」と彼を批判するブログばかりで、とても悲しくなった記憶がある。

 しかしよく考えれば、彼が悪いとか悪くないとかそういう問題でないのは明らかである。

 なぜテロリストは彼を殺したのか? なぜアメリカは戦争をはじめたのか? イラクでどんなことがおこっているのか? アメリカと日本の関係はどうなっているのか?

 僕らがあの出来事を見たときに「誰が悪い」という短絡的な思考に陥るのではなく、その行いが行われた背景を見つめ、そして考えなくてはいけないのではないだろうか?

 そう、あの出来事から学んだ。


 また妻と会社からもそういうことを教わった。

 自分は妻と一緒の会社に勤めていたのだが、非常に二人の中が険悪なときがあった。なかなかお互いが理解し合えず、ほぼ毎日ケンカして、お互いとても苦しみ悩んでいた。

 自分は、自分が妻を理解できないのが原因だと思い(つまり自己責任だと思い)どうにかして妻のことを理解しようと、女性の心理を知るための本や、他人とのコミュニケーションをうまく取るための自己啓発書を読みあさった。しかしそれでも二人の中が改善されることはなかなかなかった。

 ところが妻が会社を辞め、そしてその同時期に核となっていた上司が辞めたとたん、そういうのがまったくなくなったのである。

 あれほど苦しんでいたのに、あれほど努力して改善しようと思って無理だったのに、彼女と上司が会社を退社したということで、二人の中が改善されたのである。

 その事実に最初は困惑したが、改めてそれらの出来事を振り返って考えたとき、ある結論に至った。


 そうか、二人が仲が悪かったのは、自分や妻に原因があったのではなく、会社に原因があったのだ。


 なぜか?


 実はあの頃会社は、経営の状況が非常に悪く、いつも社内の空気が悪い状態だった。上司の罵倒が飛び交い、いつもビクビクしながら仕事をしていた。今思い出してもよくあれで会社というのが成り立っていたなと思うほど、毎日ひどい社内状況だった。

 もちろん働いている社員も通常の神経でいられるはずがない。自分も精神病の一歩手前まで侵されていた。

 そのひどい社内で得た“悪いもの”をお互い家で吐き出していたのだ。

 そう確信した。


 この二つの出来事だけではないが、自分はどうもある出来事が起こる原因には深い背景があるのではないか、ということを考えるようになった。


 そしてこの映画で取り上げられている“イジメ”も同様である。

 単にイジメている生徒を呼び出して、いくらイジメがダメだと言うことを説いてもまったく意味がないのである。


 僕らはその行いが行われたもっと深い背景を見つめなければならない。


 この映画を見て、より一層そう思うようになった。