「もの」に対する執着心

先日親知らずを生まれて初めて抜いたのだが
その次の日に事件が起きた。


その抜いた親知らずをもらうことが出来たので、
大切に持ち帰り、どこかに保存でもしておこうかと思った。


何かの本で“いつか他の歯が駄目になったときとかに
その親知らずの細胞か何かを使える”みたいなのを
読んだことがあったので、そうしようと思ったのだ。


が、次の日の朝、会社に行く前にシャワーを浴びて
リビングに戻ると、机の上に置いてあった親知らずが
ないことに気付いた。


え!と思って当たりを見回してみると
絨毯のところに転がっていた。


やられた!


なんと飼っている犬に食べられてしまったのだ。


以前もリビングの机の上にあったパンを
食べられた経験があったので気をつけていたけど
まさか「歯」をやられるとは思わなかったので
普通に机の上にぽんっと置いておいた。


まさかそれを食われるとは・・・


別に食べ物とかだったらいいのだが、
「歯」は二度と取り返しがつかないので
悔しい思いと怒りがこみ上げてきた。


たかが「歯」だけれども
生まれて初めて抜いたということもあり
妙にその抜いた「歯」に愛着があったのも
その原因かもしれない。


しかし自分にも責任があるし、
相手が犬だけに怒るに怒ることが出来ず
もんもんとした気持ちで会社に向かった。


その道中、いろいろ考えてしまった。


将来子供が出来たときにこういうことが
あるんだろうなぁ、と。


つまり子供が自分の大切な「何か」を
駄目にしてしまうとか壊してしまうとか
することがあるんだろうなぁ、と。


そうしたときに、自分はどう思うのだろうか。


たかが「もの」かもしれないけれど
もしそれが大切な「もの」
例えば結婚指輪とかアルバムとか
取り返しのつかないものだったら
どうするのだろう。


自分は子供に怒らないでいられるのだろうか


そんなことを考えてしまった。


と同時に、「もの」に対する執着心
というものが自分の中にあるのだなぁと
実感した。


それほど「もの」には執着ない自分だと
思っていたけれども、今回「歯」を食べられたときに
こみ上げてきた悔しさとか怒りとかの感情を
思いの外感じたのでとても驚いたのだ。


やっぱ自分の中にもあるんだな。
「もの」に対する執着が。


まぁあたりまえだな。