【133想】 子どもはことばをからだで覚える / 正高信男

子どもはことばをからだで覚える―メロディから意味の世界へ (中公新書)


英語を学ぶ上でヒントになることがあるかと思い、
興味深く読む

身体運動は単に「運動」にとどまらず、認知そのものもまた「運動」する身体によってになわれて初めて成立するものであることが示唆されているかもしれない。

昨日読んだ本と一緒。
身体で覚える


全体的に子供が言葉を覚えることについての内容であったが
“少し長いあとがき”に非常に興味深い内容で締めくくられる。

ここ150〜200年あまり、先進国地域での音楽は、「語り」中心の姿勢から離脱し、「響き」の注目へと一貫して傾斜を強めてきたのだが、それは、言語のとらえ方が変わってきたことと表裏一体をなしているのだ。
産業構造の大規模な転換は、知的世界においても古典というものの地位の相対的低下をもたらした。過去から受け継いできたテキストの忠実な解読のための技法にも、さほど注意が払われなくなった。

社会が近代化を遂げるなか、教養としての地位をしめていた言語は大衆化の一途をたどってきた。さらに今日にいたっては、そもそも教養というもの自体が何の意義も持たなくなってしまった。良い悪いの判断は別にして、確実にことばは軽くなったのだ。プラトンのいう人間精神や道徳を映し出す鏡としての「言語」というおもかげは、もうどこにも見いだせない。


まだよくわからない箇所が多々あるが
何かすごい引っかかるのである。


田坂さんが、
「プロフェッショナルのリトマス試験紙
『言葉』と『心』が一つになっているか。」
と言っていたこととリンクする。


それは最近の若者の言葉などの変化なども
何か意味があるのである。


“ことば”についてもう少し知りたくなった。