【132想】 人はなぜ簡単に騙されるのか / ゆうきとも

人はなぜ簡単に騙されるのか (新潮新書)

そもそも「信じる」というのは、“何となく思う”とか“何となく感じる”といったレベルのことではなく、いわば「その対象にすべてをゆだねる」ということです。本来は決して軽々しく使う言葉ではありません。

確かに「信じる」という言葉は、
安易に使われているような気がする。

それら少数人種の彼らは、ある意味、純粋とも取れるのでしょうが、それなりに人数がまとまると大きな力を持つことになりますし、それに加えて先に説明した「強烈な体験」が伴うと、本来はそのような人種でなかった人たちまでがそこに力を貸すようになってしまって、いつしか危険な団体となってしまうことがあるのです。

この本の最後のトリックのからくりには結構驚いた。
自分の場合は当らなかったが、
人が騙されてしまうのがわかる気がする。


これは映画ミストで、ありえない現実を目の当たりにして
人が変貌していく様子にも当てはまる気がする。

戦後の日本人が、「身体」を忘れて脳だけで動くようになってしまった。


(中略)


記号化された情報を脳で処理するということには慣れてきても、実際に自分の身体を使って体感し、そのような生身の情報をじかにインプットし、処理を行うことには慣れてはいなかった。


(中略)



フランスの哲学者であるアランは『幸福論』の中で次のように語っています。
人は自分の思うままに考えるものではない。そうではなくて、日頃なれ親しんだ動作をするとき、筋肉が体操によって訓練され、しなやかになっているとき、そんなときに人は思うままに行動するのである。

これは早い話、正しい(と思われる)認識や見識を身につけるためには頭(脳)だけで考えてダメで、正に養老氏が言うところの「身体を使うこと」が肝心であり、また、それを踏まえた上で判断し、さらには実際に行動しなければ意味がないということを言っているわけです。

人に騙されないようにするには
身体の感覚を大切にする必要がある。


何かよくわからないけど何となく怪しい気がする。
などの感覚だろうか。


身体。
身体論についてはもっと深く学びたい。