【139想】 日本の文章 / 外山滋比古

日本の文章 (講談社学術文庫)

その中に読経のシーンがある。大勢の僧侶のはく息が白く美しい。解説の声で、お経は「耳で読む」のだと言ったのが心に残っている。それでなくてはああいうふうに調和したコーラスにならないらしい。となりの人の声を耳でききながら文字を読むのだという。

バートランド・ラッセルといえば、二十世紀の巨人のひとりだが、自叙伝の中で、「私は耳で本を読んだ」とのべている。大哲学者がなぜ目でなく耳なんかで本を読んだのだろうかと興味を持つ。


(中略)


誰かに読んでもらい、それを聞くのである。読み手にはたいてい夫人が当たった。そうして文章を耳で記憶し、理解する訓練を積んでいたのである。文章を書くときも声を出して書き、書いた文章は声を出して読み返した。つまり耳で書いた。そうするようになって、初めはまずかった文章が上手になった、とラッセルが自信で述懐している。


文章を耳で聞き、耳で書く。


面白い。


自分も仕事やこのブログなどで文章を書く機会があるが、
なんとなくその大切さが分かる。


文章のリズム、というのだろうか。


自分は今の会社に入って、文章を書く機会が増え、
そして文章を書くことが好きだということに気づいた。


そして書くにあたって自分が大切にしたいと
意識しているのは、その読んだときのリズム感。


いい文章が書けたときは、
すらーとつっかえることがなく最後まで読めるのである。


文章を書く。


そして本を読む。


もっとその機会を増やして、
知識を豊かにしていきたい。