人と接するということ

最近また気持ちがたるんできた。


やる気になったり無気力になったりする
自分の感情に嫌気がさしてきた。


先月末いよいよ会社がやばいということで、
その事実を同僚から伝えられたとき、
かなりのショックを受けた。


今収入がなくなったら本当に厳しい。


その状況をいよいよ目のあたりにしたときに
今まであまりまじめに仕事に取り組んで
こなかったことを後悔し、本当に焦った。


あれだけ嫌な仕事で辞めたいと思っていたのに
そのような状況になるとこれだ。


なのでそれを知らされてからほぼ1日ショック状態で、
これからどうするかということを妻と話し合って
いたのだが、話せば話すほどやばい状況でまた凹む。


しかし・・・


なんと同僚と自分の予想を覆してどうやら
夏まで保ちそうだということになったのだ。


すると人間は不思議なもので、
その時考えていたやばい状況のことなどすっかり忘れ
また仕事が嫌になるのである。


そんな自分に最近嫌気がさしたのか
どうも気持ちがたるんでいる。


そして昨日、面白いことが起こった。


相変わらずどうも気持ちが入らないので、
だらだらと家で過ごして、どうしようもない
引きこもり状態だったのだが、
特に昨日は精神が不安定で自己嫌悪に陥っていた。


するとバイトから帰ってきて仮眠をとっている
妻の横でなんとなく横になっていると
いきなり「もうこんな生活嫌だ」と妻が爆発したのだ。


驚いた。


自分が最近そのような精神状態であることは
妻には伝えておらず、
妻の前では比較的明るく振る舞っていたのだが、
やはり一緒に生活している同士
バイオリズムが同期するのだろうか。


妻も最近特に精神的に落ち込んでいるような
様子はなかったのでとても驚いたのだ。


そんなことがあったせいか
最近の状況をいろいろ分析してみた。


結論から言うと自宅勤務という、
人と接することがない状況が良くない
ということがわかってきた。


自分は今の状況を決して悪いとは思っておらず
自由にやれて本当に良い環境だと思っていたが
どうも人は、人と接する機会がないと
精神的に不安定になるのである。


それは以前ルームメイトだった同僚が
本当に似たような状況、ほぼ引きこもり状態で
結局日本に帰国することになったことからもそう思う。


彼がかなり精神的に病んでいることは一緒に生活している
自分はもちろんわかっていた。


例えば、自分がたまに話しかけると
人と話すことに飢えていたかのように
目を輝かせて話をする状態であった。


そりゃそうだ。
まる1日ほとんど人と口を聞かずに過ごしている。


自分はまだ妻がいるからいいものの
彼は一言も話さないで1日が終わる日が
何日もあったことだろう。


もちろん自宅勤務の仕事ということで
メールやチャットでのやり取りは頻繁に
あるのであるが、どうもそれは意味がないらしい。


文字という媒体でのコミュニケーションだけでは
どうもダメらしい。


やはり人間は、他人と直接会って
一緒に話したり笑ったりしたりすることが
必要なのではないだろうか。


当たり前のことのようであるが
そんな人と接することの大切さを身にしみて感じるようになってきた。


あれほど人と接することが嫌だった時期があったのに、
これもまた皮肉なものである。


自分は自宅で誰にも邪魔されることなく
一人で本を読んだりネットしている時間が本当に
至福な時間と感じる人なので、自宅勤務なんてできたら
最高だろうなと思っていたので、今そう感じていることに
少し意外性を感じている。


しかし以前、
ニューヨーク(別にニューヨークではなく
どこか遠い誰もあまり関与できないところ)に来れば
自由になれると思っていたことがあったが、
それも幻想であると気付いたことがあった。


自由という幻想


それに似たようなことだろう。


吉本隆明さんが、
「よく犯罪者が無職ってのが多いような気がするけど
やっぱり働いた方がいいんだよね。」
みたいなことを言っていたことを思いだした。


やはり人間は人と社会と接することなく
生きていくのは難しいのだろう。


今、自分は引きこもりやニートなどの人たちの
気持ちがよくわかるような気がするので、
それについても考えようかと思ったが
またそれは今度の機会にしよう。