妻と親父と未来と子ども

先月ぐらいだっただろうか。
とても奇妙な、そして貴重な経験をした。


唐突だが、
妻はとても時間にルーズである。


例えば何か待ち合わせがあって、
家を出る時間が迫ってくると
いつも慌ただしくなるのだ。


そんな妻を見ていると
何でもっと早くから準備しないのだろうか
といつもイライラさせられていた。


例えばそれが朝早くなら自分もギリギリまで寝ているのでわかるのだが、
昼過ぎとか夕方とかたっぷり時間があるときでもほぼ毎回そうなる。


逆に自分はというと、
例えば待ち合わせの場所には最低10分前、
初めて行くところだと30分かそれ以上に早く着くように
出発しないと落ち着かないほどのタイプ


まぁそんな自分も、そんなに人のことは言えなく、
もちろん出発前にバタバタすることもあるのだが、
とりあえずそんな妻に対してイライラしてしまう自分がいた。


しかしそんなことにイライラしていては
この長い結婚生活持たない。


なのでその妻に対して、そんな人もいるさ、とか
ただ自分の性格が行きすぎているのだ、とか
徐々に自分の心の状態をいろいろ変化させて
妻を受け入れようとするようになった。


そして最近本当に徐々にであるが、
そんな妻を受け入れられるようになってきたと思う。


しかし、それでもなかなか自分の気持ちを
コントロールするのは難しい。




その日も、いつも通り出発の時間になっても
だらだら準備している妻に対して、
ついイライラしてしまっている自分がいた。


相変わらず時間になってもだらだら準備している妻に
怒りの感情がわき上がってきて、
それをコントロールしようと堪える自分。


しかしその時・・・


とても不思議なことが起こった。


ふと父親の映像が浮かんだのだ。


イライラする自分と
イライラしていた父親の映像が重なったのだ。


驚いた。


そしてその時に気付いた。


そうか、俺は親父を演じているのかもしれない、と。


父親も時間に対してはとても厳格で
いつもきっちりきっちりしていた。


そしてそれに反して母親はルーズ


ルーズというほどルーズではないのだが、
心配性なので、いつも家を出る時間になると
ガス閉め忘れたかも、とか、あれ忘れたかも
とか慌ただしくなる。


そして、父親はそんな母親に対して
いつも怒っていた。


そしてそれを第三者として見ていた子どもだった自分は、
なぜ父親はこんなにいつも怒っているのだろう。
といつも嫌な気持ちになっていた。


と同時に、母親に対してもなんで父親に怒られるようなことを
毎回やるのだろう、と同じく嫌な気持ちになっていた。


そう。


数十年経った今、
なんとその時と同じ状況を、
自分自ら演じてしまっていることに気付いたのだ。


まだ子どもはいないが、
この状況にもし子どもがいたら、
自分が子どもだった頃とまったく同じ心境になっているだろう。


その事実を知ったとき、
未だに自分の中に父親というものが
重く大きくのしかかっているのかと
何とも言えない恐怖感に包まれた。


妻に対してイライラする気持ちは
ひょっとしたら子どもの頃の父親に対する
気持ちが表れているのかもしれない。


そのたびに今まで逃げてきた
父親と向き合うということをしなくては
いけないのだと気付かされる。


そうだ。
向き合わなくてはいけないんだ。


未来の子どものためにも。


ここで終わらせるんだ。


そしてそのことを気付かさせてくれた
妻にいつも感謝の気持ちになる。


ありがとう。