【1想】 世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい / 森達也

世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい 世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい (ちくま文庫)
新年あけて何を読もうかと思ったが
ふと目についた本を手に取る。


好きなタイトルだ。


「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」


その通りだ、と思う気持ちと
そうあって欲しい、と願う気持ちが複雑に絡みあう。

マスメディアが発達しあらゆる情報や事件が瞬時に世界中に流通する時代は、個としての感覚を育む前に、現象に付随する多数派の意見や見解を常に刷り込まれる時代でもある。世論が順調に形成されるということは言い換えれば、少数意見が多数の意見に巧妙に収斂されていることと同義でもある。場に馴染むということは、多数派が形成する場の感覚に自分を馴化(じゅんか)させ、余ったところは切り捨てて足りない部分は引き延ばす技術でもある。
こうして単独の価値や感覚は異物として場から排除され、時には丸め込まれ、私であるはずの主語が気付かぬうちに複数となり、個は全体の動きに無自覚なまま同調する。小さな場は川の流れのように幾つも合流しては吸収され。やがて抗えないほどの巨大な流れとなり、人はその奔流(ほんりゅう)に飲み込まれる。いったんどっぷりと浸かってしまったら、この流れはもう自覚できない。なぜなら周囲すべてがその流れの中にいるのだから。

オウム事件をきっかけに日本社会は他者に対しての憎悪が高揚し、その帰結として他者への想像力を急速に失った。

もっと曖昧で複雑な要素がこの事件の背景にあったと僕は考えています。今のアメリカも、ビンラディンアルカイダを残忍な凶悪集団と捉えることで報復を考えている。でも物事は善悪で単純化されるものではない。過剰な正義の怖さを僕は感じている。

「どうして彼らはあんなに普通なのか?」
一人の老夫婦に訊ねられる。普通であることは当たり前なのです。誰だって普通です。オウムだけじゃなくて、アルカイダタリバンも、イラクバース党員も北朝鮮工作員も、皆ひとりひとりは優しくて穏やかで、親を敬い子を愛し。日々悩んだり傷ついたりしている人たちなのです。

事件の本質が変遷したのだろうか? そうではない。事件そのものは変わっていない。猟奇事件も宗教犯罪も動機なき殺人も昔からあった。でも昔は大文字で僕らはこれらの事件に対峙し、解析し、納得できた。今はできない。手も足も出ない。オウム事件を契機に、受け取る社会の「何か」が微妙に変質したのだ。
(中略)
そんな大文字に僕はもう興味はない。小文字の視座をもつべきだ。オウムの本質はそこにしかない。
(中略)
毛虫やカエルより、鯨やイルカに情がわくからだ。単純なことだ。そして大事なことだ。情感やと溜息や躊躇や微笑という小文字の要素が重要なのだ。

「情が移る」と住民は顔をしかめながらつぶやいた。当たり前だ。すべて人の営みなのだ。情がない人間などいない。ジャーナリスティックな視座からは「情感」を排除すべきと主張する人がいる。ならば何も見通せない。断言する。オウムを解析するうえで、「情感」は何よりも重要だ。

近代以前、公開処刑や市中引き回しはどこの国の文化にも存在していた。罪びとに石を投げ、その処刑を見世物よろしく興奮しながら眺めることで、市民たちは束の間のエクスタシーとカルシスに浸り、行政や統治者への不満や鬱憤のガス抜きを施されていた。しかし現代では、かつてはお上が担っていたこの役割を、マスメディアが担っている。
不特定な他者への憎悪は、その帰結として、他者への想像力を減衰させる。そこに現れるのは、熱狂と憎悪、正義と邪悪、真実と虚偽などの二元論だ。かつての日本が、まさしく身をもって体験したはずの状態だ。大昔の話じゃない。僕らの祖父の世代の話だ。
日本がオウムによって剥きだしになったように、世界は9.11によって剥きだしになった。アフガニスタンに暮らす人びとの日々の営みにほんの少しでも思いを馳せれば、誤爆が頻発する空爆などできないはずだ。パレスチナで戦車の砲撃に吹き飛ばされる市民たちの喜怒哀楽を想う気持ちが少しでも残っていれば、西側諸国はもっと真剣に自体介入を目指すはずだ。
こうして歴史は、倦むことなく繰り返される。

つい百数十年前までは鎖国の状態にあり、急激な近代化を図ってアジアでは希望の星となりながら、いつのまにか帝国主義の国家となっていた。無条件降伏という究極的な敗戦と屈辱を味わい、西側と東側との対立構造の狭間で軋みながら驚異的な経済復興を成し遂げて経済大国になり、その後資本主義経済の一つの究極の形であるバブルを経て、この国は今も様々な喪失感に揺れ続けている。

でも意見や心情をストレートに表明することに直感的な躊躇いがある。現実を直接的に切り取ったり照射したりすつドキュメンタリストなのだから、ストレートな現実への働きかけに遠慮はないはずだと想うのならそれは全く逆だ。現実と虚構との皮膜を漂流するドキュメンタリストだからこそ、短いフレーズやスローガンを掲げて拳を突き上げることへの違和感をどうしても払拭できない。
ドキュメンタリーを無理矢理に定義すれば、探り当てた人や事象などの素材をメタファーとして、自らの世界観を構築して呈示する行為なのだと自分では規定している。要するに現実を素材にして主観を描く間接話法なのだ。

夕方しか飛べず、外見の醜さと気の弱さとで、他の鳥たちに嫌われ蔑まれていたよだかは、何の罪もない虫を食べることでしか自己の生命を維持できない自分に葛藤し続けて、最後には天空で星になった。
僕らは星になれない。矛盾を抱えながら生き続けるしかない。次女はいずれ、青虫を市販のキャベツで飼うことの矛盾に気付くだろう。大いに悩んで欲しい。答えなどない。辛い作業ではあるけれど、でも僕もこうして、出口のない煩悶(はんもん)を今後も続けていくつもりだし、彼女にもそうあって欲しいと思っている。