2011年を振り返って

今年は個人的にも世界的にも激動の年だった。


まず何よりも思い出すのは311


実際に自分も恐怖を味わい、
未だ放射能の恐怖にどこか怯えている。


あれから何か意識が変わったのかと言われると
なんも変わっていないような気もするが
どこか大きく変わったような気もする。


そして個人にとっては子供を授かった。


震災の約1ヶ月後。


特に意識して作ろうとは思わなかったが
あっさりとできてしまった。


そこからは自分と妻は大きく意識が変わった。
本当180度変わったと言ってもいいぐらい
いろいろなものに対しての意識が変わったように思う。


今年の漢字は「絆」だったらしいが、
自分は「光」とつけたい。


今までうす暗くなにも見えない中に
何かいろいろな意味で「光」が射したような気がするのだ。


今年2011年も本当に最高の1年だった。
家族・親族共に健康でいられたことを感謝。


有り難うございました。

311

あれから早くも明日で2週間。
不思議な2週間だった。


徐々に普通の生活に戻ってきてはいるが、相変わらず余震は続くし、地域によっては計画停電、そして原発関連のニュースはいまだ目が話せない。


しかし徐々に普通の生活に戻ってきてしまっていることに、何か違和感を感じてしまっている。このまま普通の生活に戻っていいのだろうか。


あの日、あの時、多くの人の命が一瞬で失われた。
そして今も何十万人という人が避難生活を送っている。


おそらくあと数ヶ月もすれば、ほとんど今までの生活と変わらないような生活をできてしまっているのだろう。


そうしたら、あの日のことを忘れてしまうのだろうか。


普通「忘れる」ということは環境に適応するための人間の素晴らしい能力だ。


しかし、あの日のことはなぜか忘れてしまってはいけないような気がする。


今回のこの災害は遠い国で起こっている出来事ではない。
まさに自分もその地震の現場に立ち会わせ恐怖を味わった。そして今も停電、余震、原発という普通ではない状況にいる。


だからこそ、東北の方々のことがものすごい身近に感じることが出来るし、亡くなった多くの人びとのことを思うと心が痛い。


今、自分に何が出来るのだろうか。
これから、自分に何が出来るのだろうか。

アジアカップに思う

決勝を決めたゴールは李忠成のゴールだった。


正直李選手がどんな人がまったく知らなかった。
ただ名前からなんとなく在日なのかというのは推測できる、


今回のアジアカップで印象に残ってたシーンの一つとして
韓国戦での、韓国選手の日本人を侮辱したアピールを思い出す。


自分はニューヨークで過ごすという経験を持っていることもあって
人種差別的なことには非常に疑問である。


ニューヨークのいろいろの思い出のなかで楽しかったのは韓国の友人との出来事である。それを思うと、いかに人種差別的なことがくだらない事だと思う。


なぜ自分たちは、人を批判しないで、手を取り合う道を選べないのだろう。。。




今年も嫁の実家で正月過ごすことになった。


お酒を飲み過ぎてしまったのは反省点だが
それでものんびり出来た。


今年はどんな年になるのだろう。


なぜか素晴らしい年になる気がしてならない。
なんかワクワクしてくる。


2011年。よろしく!!

【45想】 運力 / 天外伺朗

運力 あなたの人生はこれで決まる (祥伝社黄金文庫)
あれ、最近出た本と同じタイトルと思ったら微妙にサブタイトルが異なる。あちらは経営者向けで、こちらは一般人向けといった感じか。


もう天外さんの本をほとんどすべて読んでいる自分にとってはもうほとんど知っている内容であったがやっぱりそれでも読む度に、なんか考えさせられる。

【44想】 リバタリアン宣言 / 蔵研也

リバタリアン宣言 (朝日新書)

リバタリアンとはちょっとわかりにくい言葉かもしれませんが、いうならば「自由」というものを極端に重要なものだと考える人たちといってもいいと思います。自由至上主義などと呼ばれることがあります。

まさに俺。


リバタリアンって興味ずっとあったが、この本を読んで、改めて自分はリバタリアンであることに気付く。

リバタリアンは個人の自発的な活動を重視するという社会哲学です。

こういう言葉を聞くと、少し心が躍る。俺の中の何かはそれを求めているようだ。