自由

会社で働いていたときは“自由”になりたい。


そう願っていた。


時間に縛られたくない。
人に縛られたくない。
仕事に縛られたくない。


しかしニューヨークへきて、
その“時間”にも“人”にも“仕事”にも、
ある程度縛られない状況になった。


するとどうだろう?


確かに“自由”になったような気がするが・・・


なんだろう、
この満たされない感じは?


会社に通っていた頃、
日曜日の夜、
土日の休みを有効に使えないことを振り返って
なんともいえない後悔を味わう感覚と似ている。


ここでふとある格言を思い出す。

環境を変えよ。人間を変えようとするな。
バックミンスター・フラー


この格言を見たときに思ったのは、
まさに会社にいる“人間”を当てはめたものだが、
今日ふと思った。


この“人間”を“自分”に変えると・・・

環境を変えよ。自分を変えようとするな。


ある尊敬する人が言っていた。


人を関数の生きものとして考えると
“環境”の関数である。


やはり人というのは“環境”が
非常に大切である、と。


今までは“自分”を変えようとして苦しんでいたが、
どうしてもそこに「自己否定」が生じてしまう。


どうしてもできなかった自分を否定してしまう。


「意思が弱い」「継続する力がない」


やはりそこからはなかなかいい状態は生まれない。


だから“環境”を変えよう。
“自分”を変えようとしないで“環境”を変えよう。


ふと今日そう思った。