言語という名の・・・


ニューヨークに来て早1ヶ月である。今感じていることを思いつくまま書き記したいと思う。


まず英語についてでも語ろうか。まずこんなにも英語にて苦労するとは思わなかった。あまりにも簡単に考えすぎていた。1年もいれば何とかなるだろう。学校に通えば何とかなるだろう。とんでもない。かなり強い意志で取り組まなければまったくしゃべれることなく帰国となってしまう。それだけは避けたい。


自分がこのニューヨークで決めた目標が主として3つある。「英語」「身体」「仕事」である。英語以外は後述するとして、特にこの中でも重視したいと考えているのは「英語」である。すべて日本でも実行可能なことであるが、やはりこの英語付けになることが可能であるこの環境は大切にしたい。


まず英語について最初に感じたのは、先にも言ったが、学校に通えばしゃべれるようになるという幻想である。まったく違う。それは初日に感じたことである。実践できる環境は素晴らしいが、ただそれだけに過ぎない。


最近感じていることは、学校にて“文法”を学んでいるとしゃべるときにその文法を意識してしまい、スムーズに喋ることが出来なくなってしまうのではないかということだ。それが最近感じたことだ。


というのも3週間ぐらい学校で学んでそれなりに最低限の表現は出来るようになってきたときに、ある時、いきなりしゃべれなくなってしまった感覚に襲われたときがある。不思議な感覚だった。それはおそらく文法を学んで、しゃべるときに強く意識するようになった時だったように思う。なので、むしろ文法を学ぶことが英語の上達を邪魔しているのではないかと思ったのだ。


もちろん文法を学ぶことは大切なことであると思う。しかし問題は“順番”である。


よく言われることであるが、人間が生まれて言語を覚える仮定で、一番最初は「聞く」で次に「しゃべる」である。その他「読む」「書く」「学ぶ」はその後のことである。よって言語を学ぶときはその順番で学ぶことが一番の上達方法であるという勉強法である。


今回文法を意識することによってしゃべれない感覚に襲われてしまった経験が、やはりそれが一番の近道では?と感じた。むしろ文法を学ぶのは弊害になるのではないかと・・・


父も言っていたが英語は決して“学問”ではない。頭で学ぶものではないということだ。まさに“身体”で覚える、つまりスポーツに近いと感じている。いろいろな英語の勉強法を調べたが、行き着いたところはひたすら“聞く”ということとひたすら“しゃべる”というところであった。そうなるとやはり“文法”は“頭”で考える分野に当てはまるので、自分が感じたこととも一致する。。。


まだあくまで勉強を学んでいる途中段階の仮説であるので、考えが全く変わる可能性もあるかもしれないが、現時点で思ったことをかいてみた。