その思い出、Priceless

今日友人が所属しているNPO団体が
英語のスクールを無料でやっているということで
その説明会を聞きに足を運んだ。


最初は、無料のスクールというので
気軽な気持ちで参加でもしようかなと思っていたが、
実際に説明を聞いてみるとむしろ逆だった。


開催者の姿勢はとても真剣で、
その思いがすごい伝わってきた。


本当に英語を学びたい、
アメリカで有意義に生活したい
そういうことを真剣に考えている人を
応援したい。


そんなような思いが伝わってきたのだ。


それを聞いて、少し考えてしまった。


そうか自分はニューヨークにいるのだ。


リーマンショックの時や
ニューヨークで飛行機事故、
またオバマさんの就任式があった時など
親族や友人から「ニューヨーク(現場)はどうなの!?」
といつも聞かれるが、その答えは同じくいつも一緒。


「特に・・・別に・・・」である。


事実そうなのだ。


ほとんど家に引きこもっている状態で
テレビも見ない、新聞も見ない。
(というか見られない・・・)


そんなような状態なので
世間というものがよくわからないのだ。


なので別にアメリカでニューヨークで
どんなことがあろうが、
あまり自分にはよくわからないし、
ぶっちゃけあまり関係ない状態なのだ。


それのせいか、最近ニューヨークにいるという感覚が
あまりなくなってしまっていることに気づいた。


それはとてももったいないことである。


昔、自分の人生のポリシーに
「その時でしかできないことをやる」
「人生は思い出がすべて」
ということを考えていたときがあった。


これを思いついたのが確か大学の時で、
友人から飲み会や遊びに誘われたときに
ふと考えたのがきっかけだったように思う。


大学生の頃にお金がなくて友人の誘いを
どうするか迷っていたときがあったのだが
その時自分はこう考えた。


この時に(大学生であること、そしてこの年で)
このように友人と遊ぶということは
もう人生ではないのだなぁ。
じゃあ絶対参加するべきだな。


そう思って友人から何か誘いを受けたときは
絶対に参加していた時期があった。


人生は「思い出」がすべてであると考えていたのである。


それにはケチな友人がいたことも
影響がある。


いつもお金がないと言って
何かと誘いを断っている友人がいた。


別にそんなにお金がないわけではないのだが
将来のために貯金をしているのだろう。


確かにそれも賢い生き方だと思う。


でもその時自分は、
「何かもったいないなぁ」と思ったのである。


先日語学学校の友人に誘われて
スペイン料理を食べに行ったときも
同じようなことを思った。


スペイン人の友人がみんなでスペイン料理
食べようとクラスメイトのみんなを
ニューヨークにあるスペイン料理屋に
招待してくれたのだ。


ランチタイムに行ったのだが、
そこには25ドルのお任せメニューと
10ドル前後の普通のメニューがあった。


そこでスペイン人の友人が
せっかくだから25ドルのメニューでどう?
とみんなに薦めてくれたのである。


自分はもちろん即決でそれにしようと言ったのだが
そこでお金のない友人数名がランチで25ドルは高いからと
自分は10ドルのにしようかなぁとかなり迷っていたのある。


それを聞いて自分は「それ迷うところじゃないだろ」
と心の中で思っていた。


確かにお金がないという事情は分からなくもない。


ニューヨークにいる語学学校の学生は、
多くの人が貯金をはたいて来ていたり
こちらで働けないなどの事情があって苦しいのは事実だ。
自分もそのうちの一人だから分かる。


経済的に厳しいというのは
どうしようもない事情かもしれないが・・・
やはり違和感を感じるのである。


だってよく考えてみればそうであろう。


ニューヨークという場所で、
スペイン人の友人に招かれて
スペイン料理をみんなで一緒に食べる。


こんな機会が人生に何回存在するのだろうか?


そしてたった15ドルの差である。


その時をその場所にいるみんなで楽しく過ごす。
これは決してお金に代えられないものであるように思う。


で、少し話が戻って大学の頃の話。


確かに大学生の頃に貯金して
将来に備えるのも大切であると思う。


そしてきっと将来貯金していた人は
「貯金していて良かった」と、
そして貯金していなかった人は
「貯金しておけば良かった」と思うかもしれない。


しかし大学生の頃に友人とバカばっかして
遊んだあの時のあの感情、あの思い出は
決してお金で買えるものではないし、
もう二度と経験できないことなのである。


そう考えていたはずなのに・・・


ふとニューヨークにいて
何もやっていないことに気づく。


最近はほとんど家に引きこもっている状態で
ここでやっていることははっきり言って
日本でもできることだ。


これはもったいない。


ふと今日の説明会を聞いて
そんなことを考えてしまった。


そして自分が今ここに引きこもっている理由


それには働くことができない、友人がいないなどの
原因もあるが、やはり共通して言えることは
「英語の壁」であることに改めて気づく。


怖い。
その感情が奥深くにあるのだ。


怖い。
英語を使って話すことが怖い。
通じないことが怖い。
恥をかくのが怖い。


そこにあるのは恐怖心。


そしてコミュニケーションを取れない苦しさ。


それを乗り越えなくては。


すべては思い出だ。
失敗も後から振り返ればよい思い出になる。


電気のアカウントをオープンするために
コールセンターに電話したとき。


途中何を言っているのかまったく
分からなくてどうしようもなかった。


妻に代わってなんとか対処できたが、
あの時はかなり凹んだ。


あれも今となっては良い思い出だ。


インターネットをやりたいのでアカウントを作るために
同じくコールセンターに電話したとき。


英語がままならない自分のために
オペレーターがゆっくりしゃべってくれて
無事インターネットのアカウントを開くことができた。


あのオペレーターの人はどのような人だろうか。
もちろん声だけなのでよくわからないが
彼女には本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。


実際にものが届いて、インターネットが
できるようになったときは感動した。


たった1回の人生での深い思い出だ。


「思い出」という言葉は「経験」という言葉にも
代えられるような気がする。


今この瞬間にこの場所にいるということ。


それをまた改めて考えて、
よい思い出を作っていきたい。