【13想】 ろまん燈籠 / 太宰治

ろまん燈籠 (新潮文庫)
なんだかんだで太宰治を読むのは初めてだろうか


おそらく小学校か中学校の国語の教科書に
載っていただろうがまったく覚えていない。


太宰治と言えば、
漠然と暗いイメージがあるが
読んでみるとまったくそんなことはなかった。


何か、こう、生きる元気を
もらったような気がする。


自分が読書をするようになったのは、
「よりよく生きるにはどうすれば良いのか」
「友人や他人とどのように付き合っていけば良いのか」
などの身近な悩みがきっかけだったように思う。


そしてその根本は、
「なぜ生きるのか」「どのように生きるべきか」
という問いがあるように思う。


そうすると、どうしても
自己啓発的な本に手を出しがちだった。


事実そのような本をたくさん読んできたし
教わったこともたくさんある。


しかし、どうもその手の本からは
得られることができないものが
あることに気づき始めてきたのだ。


決してそこに書いてあることは
間違っていることではないのであるが、
やはり「なぜ生きるのか」などの深い問いには
どうしても本では、言葉では答えることが
難しいことであるように感じられてきた。


よく考えれば当たり前のことであるが・・・
若かった自分は(といっても2,3年前)
その深い深い問いについての答えを
安易に読書に求めてしまっていたのである。


しかし今は少し違う。


やはり「生きる」ということは、
とてもとても深いことだ。


読書なんかでその答えは
そう簡単に得ることはできない。


そのことが徐々に分かってきた。


が、かといって、
読書は相変わらず続けると思う。


ただ今はその答えを安易に求める読み方ではなく、
もう少し違った読み方で読むような気がする。


で、今回の太宰治


今まではダイレクトにその答えを答えてくれるような
本ばかりを読んでいたが、このような小説を読むと、
決してそのようなことは書いていないのであるが
不思議と生きる元気をもらったり、
そこに生きるヒントがあるような気がするのである。


そこには短いながらもいろいろな物語がある。
その物語を通じて何か大切なことを教わる気がするのだ。


そこで「老人と海」を読んだときのことを思い出した。


4年ほど前だったろうか、
ヘミングウェイ老人と海を読んだ。


老人とマグロとの戦いを描いているのであるが
昔の自分はこう書いていた。

最後、老人が勝ったマグロがすべてサメに食べられてしまう。


老人は命を懸けて戦い、勝った。
そして、今度はそれを守るために戦った。
しかしそこには何も残らなかった。


これは何を意味するのだろう。
自然への無力?
さんざん考えたが、まだ人生経験の浅い俺にはわからなかった。


つい自分は結論だけに目がいって
その意味だけを考えてしまっていた。


しかし今は分かるような気がする。


そう思ったとき、読書は面白い、
小説は面白い、物語は面白いなぁと思ったのである。


で、太宰治のろまん燈籠


いろいろなものが印象に残っているが
特に印象に残ったのが「新郎」と「散華」

一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。明日のことを思い煩うな。明日は明日みずから思い煩わん。きょう一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮らしたい。青空もこのごろは、ばかに綺麗だ。船を浮かべたいくらい綺麗だ。山茶花の花びらは、桜貝。音立てて散っている。こんなに見事な花びらだったかと、ことしはじめて驚いている。何もかも、なつかしいのだ。煙草一本吸うのにも、泣いてみたいくらいの感謝の念で吸っている。まさか、本当には泣かない。思わず微笑しているという程の意味である。
(中略)
けれども、このごろは、めっきり私も優しくなって、思う事をそのままきびしく言うようになってしまった。普通の優しさとは少し違うのである。私の優しさは、私の全貌(ぜんぼう)を加減せずに学生たちに見せてやる事なのだ。私は、いまは責任を感じている。私のところへ来る人を、ひとりでも堕落させてはならぬと念じている。私が最後の審判の台に立たされた時、たった一つ、「けれども私は、私と附き合った人をひとりも堕落させませんでした。」と言い切る事が出来たら、どんなに嬉しいだろう。私はこのごろ学生たちには、思い切り苦言を呈する事にしている。呶鳴(どな)る事もある。それが私の優しさなのだ。そんな時には私は、この学生に殺されたっていいと思っている。殺す学生は永遠の馬鹿である。

太宰治 新郎
もう全文を引用してしまいたいぐらいなのであるが
思わず読んでいてうなってしまった。


一日一日を精一杯に生きる。


そう言うと薄っぺらい言葉に聞こえてしまうのが
不思議で、非常に残念なのだが、なんと素晴らしい物語で
描いてくれているのであろう。


そして「散華」の中での三田君のあの詩

 御元気ですか。
 遠い空から御伺いします。
 無事、任地に着きました。
 大いなる文学のために、
 死んで下さい。
 自分も死にます、
 この戦争のために。

太宰治 散華


死を受けいれることを決意した人の詩。
そこに心動かさざるを得ない。