【35想】 お伽草紙 / 太宰治

お伽草紙 (新潮文庫)
いやぁ面白いなぁ。


文学というものに対して
どっぷりと浸かっている感覚がある。


どの作品も本当に面白かった。


今までランダムにいろいろな作品を
読んできたが、この作品は中期の作品に当たるらしい。


解説によると以下のようである。

太宰治の作家活動の中期に属する作品で、困難な戦争機に書かれたものばかりである。

自ら“排除と反抗”の時代と称し、既成のあらゆる小説の形式や方法に反逆し、破壊的前衛的な文学をめざした前期
(中略)
それが中期になると――自己をもっとも愚劣なかたちにとだえさせよう、自己を徹底的に破壊しようとする内的真実に殉じた前期のあまりに性急な下降倫理的生き方を、これでは現実の社会からは狂人として見られているだけだと気づき、現世には現世の限度というものが悲しくあきらめ、真に人々の魂を感動させる文学を書くために、職業作家を志し、健全な小市民的生活を送ろうと決意した中期――昭和十三年(1938年)三十歳から始まる中期――

中期の太宰治は、自己の内的真実を現実世界にそのまま実践することをあきらめ、文学の中にだけ生きようとした。
<私は、もう、とうから死んでいるのに、おまえたちは、気がつかないのだ。たましいだけが、どうにか生きて。
私はいま人では無い。芸術家という、一種奇妙な動物である。この死んだ屍を、六十歳まで支え持ってやって、大作家というものをお目にかけて上げようと思っている。>(『〓』)
太宰治は実践者から表現者に転じたのだ。過度なまでの厳しい倫理観から解放されることによって、太宰治の芸術的才能は、思いがけないほど、のびのびと豊に開花し、(中略)つぎつぎにすぐれた作品を書く。


なんとなくこの太宰治という人の全体像がわかってきた気がするが
まだ前期から中期にかけての作品をあまり読んでいない。


これから後期作品の『斜陽』を読もうとしている。


そもそも自分はなぜ今太宰治
読もうとしているのだろうか。


爆笑問題の太田がこの太宰治について
話していたのが印象的だったのが
きっかけだったように思うが、


どうもこの太宰治という人に
なぜか惹かれるところがあるのである。


まだそれをうまく説明できないが、
作品を読み進めるうちにわかってくるのだろうか。


リンク:
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