責任

ひさびさにものすごいショックを受けました。


発収束作業の現場から ある運動家の報告
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-54.html


ずっと「後で読む」に入れておいて読まなかったのですが、
ひさびさにまとまった時間が取れたので読んでみたのですが・・・すごい。


現在あの福島の原発にて働く人の「生」の声です。

そこで問題なのが、圧倒的多数者の東京・首都圏の人たちが、少数の福島・新潟などの原発立地周辺の人びとにたいして、ある種の帝国主義による植民地支配のような眼差しをもっていることです。それは、権力を持っている者、為政者と全く変わらない眼差し・同じような意識です。
それは、運動の側でもそういう眼差し・意識に立っています。それがものすごくこわい。このことに思いが至らなかったら、たぶん反原発運動はおしまいじゃないか。

(中略)

―― 「基地を東京へ持って帰れ」と、沖縄の人たちが言います。それにたいして、本土の運動の側が、激甚に反発します。

(中略)

―― そういうことが、無自覚に進められる意識構造が、近代日本の基本構造なのでは?
大西: そうですね。沖縄と東北地方に矛盾を押し付けることで、帝国日本が成り立ってきたわけです。その問題が、こんな形でだけども、ようやく見え始めてきました。
 この切り口をどうやって、これまでの運動の本当に反省と転換ということに持っていけるだろうか。それができなかったら、本当にもう大変なことになるなという気持ちです。

これにはがつーんとやられました。
まさに自分は今までそこに無自覚なまま、漠然と原発に対しては反対な態度でいました。

大西: そうです。
 福島の方に、クソをずーっと貯め続けていて、そのクソが飛び散ってしまった。
 東京の人は、「クソが飛んできたじゃないか!」って文句を言っているけど。
 「それ、あんたが流したクソでしょ」って。
 自分のクソの処理ぐらい自分でやんないと。せめて「いっしょに掃除しましょうよ」というふうになりたいんですけどね。反原発であろうと推進派であろうとね。
 ところが、反原発運動をやっている人は、自分たちは被害者で、まったく罪はないという風に思っていますね。

(中略)

大西: もしもですが、「これから第一原発がまき散らした放射能を、全部、東京湾に埋めるんで、東京の人は、気を付けてくださいね」ということをやったら、果たして受け入れるでしょうか、という話ですが、ありえないですよね。
でも、東京の人は、その逆のことを、いとも簡単にやっているのです。傲慢な力を行使していることにすら気づいていないのです。

もう言葉もありません。
結局自分は自分のことしか考えていないのではないじゃないか・・・とぶん殴られたような気持ちです。


・・・・


ちょっと自分の気持ちを整理しようと思います。