【27想】 他人と深く関わらずに生きるには / 池田清彦

他人と深く関わらずに生きるには (新潮文庫)


何ともすごいタイトルで
昔から読みたいと思っていた。


昨日妻とケンカして、そのまま夜が明けた今日、
相変わらず嫌な空気に耐えられず思わず家を飛び出して
ブックオフに立ち寄るとこの本を見つけた。


面白いものである。


で、とても薄い本だったので、
そのまま喫茶店でさくっと読了。


前半部分はどうも受けいれられない部分が多々あったが、
徐々にその内容に魅了されていき、いろいろなことを
考えてしまった。


以前この人の書籍を読んだのだが、
ブログに引用されていないのでまったく内容を
覚えていない。


その時に引っかかったキーワード
リバタリアニズムのリンクがしてある。


よってそのリンクを辿ってみてみた。


その時にはそれが何のことだか
まったく理解できなかった記憶があるが、
この本を読んだ後だからか、
とてもすんなりと理解できて驚いた。


おそらく後半部分の具体的なこのようにしたほうがいい
という部分を読んだからであろう。

他人と深く関わらずに生きる、とは自分勝手に生きる、ということではない。自分も自由に生きるかわりに、他者の自由な生き方も最大限認めるということに他ならない。

このことをきちんと理解しないと
この本を理解するのは難しいかと思った。


事実この「他人と深く関わらずに生きる」という
タイトルは何か誤解をしてしまうと思うし、
自分自身も何か誤解をしていたような気がする。

結婚は契約だから、最低限の契約を守りさえすれば、お互いに相手に干渉しないのがベストである。淡々と付き合うのが基本なのだ。もちろん、恋愛と結婚が同時進行している時は、恋愛幻想を共有しているわけだし、それ以外にも未来の生活設計についての幻想を共有していることもあるだろう。しかし原則的には、相手をコントロールしないこと、相手の心の中にずかずかと入っていかないこと、はとても大事である。結婚相手は自分と最も親しい友人であり、時に幻想を共有する同士なのだ。

最近妻とぶつかる度に、
このようなことを身にしみて感じる。


他者を尊重する、
ということはとても難しいことだ。

たとえば、シートベルトの着用を義務づける交通ルールがある。シートベルトを装着しないで損害をこうむるのはシートベルトを着けていない本人なのだから、これを法律で強制することはバカげている。究極のパターナリズム(おせっかい主義)である。国家の決めることは何でも正しく、国民は子供みたいなものだから、国家の言うことをハイハイと言って聞いていればよい、という考えである。
(中略)
法律というのは、もとはと言えば機能のためにあるのだ。誰にも迷惑をかけるわけでもないのに、法律を守るだけに法律を守っているのはバカである。

世間というのは、あなたをコントロールしようとする最もたちの悪い、見えない権力であるから、くれぐれもだまされないようにね。
(中略)
国家というコントロール装置とパターナリズムにたましいを抜かれたからに違いない。

最近改めて世の中に蔓延するウソに気づき始めたが
このような文章を見ると、少し身震いがする。

決断したのはあなたなのだから。自由に生きることは結構しんどい。他人を当てにして生きた方が楽かもしれない。しかし、他でもない自分の人生なんだから、最後は自分で決める他ないのである。

自由は結構しんどい。

子供は親とは別の人生を歩むのだから、親の価値体系を押しつけてはいけないのである。子供が真にやりたいことをサポートしてやること、無理強いすることはちがうのである。

自分の子供にそうしてあげられるだろうか。

本当は大学はすべて民営化して、いかなる大学にも補助金はビタ一文やらないかわりに、コントロールも一切しないのが一番の構造改革なのだ。

自分がこの本に感銘を受けたのは、
このコントロールを一切しない、と
いうところにビビっときたからだ。


これは以前天外さんが言っていた経営方法や
教育の本の中で語っていた事とまったく一緒であるのだ。


それを思い出してから、
すべてが天外さんが言っていたことと
微妙にリンクしていてとても面白く読めた。


他にも面白い政策がたんまりと書かれていた。

へそ曲がりもいる。天の邪鬼もいる。人間嫌いもいる。無闇にお人好しの奴もいれば、他人と余り付き合いたくない奴もいれば、ヘンタイもいる。そういうすべての人にとって等しく住み良い社会を作りたいという、私の構想は、所詮は見果てぬ夢なのかもしれないが、一歩でもそれに近づくことは可能だと信じたい。

それがいずれ実現するのかはわからないが、
そのような社会には非常に興味がある。


自分もどちらかというと
他人に干渉されずに生きるのが好きで、
というか他人に干渉されるのが非常に嫌いなので、
このような社会は強く渇望する。


しかしそれは決して生きるのが
楽な社会という意味ではないように思う。


むしろ一人一人が真に自由な生き方を出来るようになったときに、
何か人類の新しい時代が幕を開けるのではないだろうか。


ここでふと今日読んだ「きけ わだつみのこえ」の
文章を思い出した。


特攻隊としてもうまもなく死ぬという
若きサムライの遺書である。

私は明確に云えば、自由主義に憧れていました。日本が真に永久に続くためには自由主義が必要であると思ったからです。これは、馬鹿な事に聞こえるかも知れません。それは現在、日本が全体主義的な気分に包まれているからです。しかし、真に大きな眼を開き、人間の本性を考えたとき、自由主義こそ合理的なる主義だと思います。