生のけん怠

最近どうも無気力だ。


と言っても、ここほんの数日であるが、
どうも何事にもやる気が起こらない。


先日の土曜日、
今の会社が本格的に倒産の危機であることを知った。


辞めたくて辞めたくてしようがない会社だったが、
そのことを知ったとき、
妙に愛着が出てしまうのは不思議である。


以前の会社でも辞めるということを上司に伝えたとき、
なんとも言えない感情に包まれ、
感極まってしまったこともあった。


いざ別れとなると、今まで嫌いだった人に対しても
妙に淋しくなるものであるし、
そのようなことは人生のいろいろな場面で
経験することだと思う。


少し話がそれたが、
その話を聞いたときに、
いよいよ来たかと思った。


ついに本気で人生に取り組まなくてはいけない、
と感じた。


そりゃそうだ、
今ここで収入がなくなったら大変だ。


何らかの形で収入を得なくてはいけない。


しかし、ここニューヨークで
そのような仕事を見つけるのが大変なのは、
妻がすでに経験していることだ。


やっていけるのだろうか。


そう感じたときに、
妙に妻と張り切って頑張ろうと感じた。


なんとも言えない高揚感に包まれた。


しかし・・・


その意気込みも数日しかもたなかった。
たった3日後にはやる気がなくなった。


しかしこのやる気のなさは、
最近のことではない。


ニューヨークに来たときから、
急に無力感に襲われることがある。


ほんの数時間だけの時もあれば、
それが数日続くこともある。


そういう時は、
別に死にたいと思うわけではない。


別に死にたいとも思わないが、
生きたいとも思わないのだ。


ぶっちゃけ「どうでもいいよ」状態。


本当にどうでもいいのだ。


すべてが面倒くさくなる。


そんな状態が昨日今日と続いている。


なんかよくわからなんが疲れた。
どうでもいいや。


そんな状態である。


そんなとき、ふと本を手にとる。


きけ わだつみのこえ


太平洋戦争で亡くなった、
若き人たちの手記である。


自分より若い20代前半の若者が
戦争にかり出させられ、
苦悩する姿が目に浮かんでくる。


彼らは自ら人生を選択する権利も持たず
国のために戦い、苦悩し、
そして死んでいった。


あの戦争が終わってから
約60年が経つ


彼らが今の自分を見たら
なんと思うのだろう。


彼らが、今の日本の若者を見たら
どう思うのだろう。


そう思った時、
ふと三島由紀夫の言葉を思い出す。


現代の死とは
 リルケが書いておりますが、『現代人というものは、もうドラマチックな死ができなくなってしまった。病院の一室でひとつの細胞の中のハチが死ぬように死んでいく』というようなことを、どこかで書いていたように記憶しますが。今現代の死は病気にしろ、あるいは交通事故にしろなんらのドラマがない。英雄的な死というものもない時代にわれわれは生きております。
 それにつけて思い出しますのは、18世紀頃に書かれた『葉隠』という本で、『武士道とは死ぬことと見つけたり』というので有名になった本ですが、この時代もやっぱり今と似ていて、もう戦国の夢は醒めて、武士は普段から武道の鍛練をいたしますが、なかなか生半可のことでは戦場の華々しい死なんてものはなくなってしまった。そのなかで汚職もあれば社用族もあり、今で言えばアイビー族みたいなものも、侍の間に出てきた時代でした
 その中で『葉隠』の著者は、いつでも武士というものは、一か八かの選択の時は死ぬ方を先に選ばなければいけないということを、口を酸っぱくして説きましたけれども、著者自身は長生きして畳の上で死ぬのであります。そういうふうに、武士であっても、結局死ぬチャンスをつかめないで、死ということを心の中に描きながら生きていった。
 それを考えますと、今の青年にはスリルを求めることもありましょう。あるいは、いつ死ぬかという恐怖もないではないでしょうが、死が生の前提になっているという緊張した状態にはない。そういうことで、仕事をやっています時に、なんか生のけん怠といいますか、ただ人間が自分のためだけに生きるのに卑しいものを感じてくるのは当然だと思うのであります。
 それで、人間の生命というのは不思議なもので、自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬというほど人間は強くない。というのは、なんか人間は理想なり何かのためということを考えているので、生きるのも自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう。すると、死ぬのも何かのためということがかならず出てくる。それが昔言われた“大義”というものです。そして、大義のために死ぬということが、人間のもっとも華々しい、あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方と考えられていた。
 しかし今は大義がない。これは民主主義の政治形態というものは大義なんてものがいらない政治形態ですから当然なんですが、それでも心の中に自分を超える価値が認められなければ、生きていることすら無意味であるというような心理状態がないわけではない。
https://www.shinchosha.co.jp/books/html/136271.html


この4年後、
彼は自ら命を絶った。


僕らは、これから新しい生き方を
見つけなくてはいけないのであろう。


それを自らの人生をかけて
見つけなくてはならない。


そんな気がする。


戦争で亡くなった
日本の若き侍たちに報いるためにも。