【44想】 いちばん大事なこと / 養老孟司

いちばん大事なこと―養老教授の環境論 (集英社新書)
養老さんは大好きでいろいろ本読んできたが
それらがうまくまとめているような本で、
とても面白かった。

人間対自然ではない
対立しているのは、じつはヒトの脳の代表的な働きである意識と、意識がつくり出したものではない自然である。

この基本的な考え方なくして
この人の本は読めないと思う。

「手入れ」は、自然にいっさい手を加えないという環境原理主義とは対極的な考え方である。人間と無関係な自然はありえない。人間と関係をもってしまった自然にはきちんと手を入れ、自然のシステムを守ってやらねばならない。
「手入れ」と「コントロール」は違う。「手入れ」は相手を認め、相手のルールをこちらが理解しようとすることからはじまる。これに対して「コントロール」は、相手をこちらの脳の中に取り込んでしまう。対象を自分の脳で理解できる範囲内のものとしてとらえ、脳のルールで相手を完全に動かせると考える。しかし自然を相手にするときは、そんなことができるはずがない。虫を追いかけているのも、虫がどこにいてなにをしているか、自分の脳がすべて把握できるわけではないからだ。相手を自分の脳を超えたものとして認め、できるだけ相手のルールを知ろうとする。これが自然とつきあうときの、いちばんもっともなやり方だと思う。

自然、虫を「人間」と読み替えても
面白いと思う。

ひっかかり続けること
最近の学生を見ていて思うのは、ひっかかることがあっても、それを頭のなかで「丸めてしまう」傾向が強いことである。「丸める」とは、疑問に思ったことを、それ以上悩まなくてすむように、とりあえず自分のなかでなだめてしまうことである。
(中略)
疑問を抱き続けること、つまりわかるまでこだわることは、自然を知るときの基本的な態度である。

常に問い続ける強さ。

子供は環境問題である
何度か述べたように、都市は自然を排除する。だから「自然としての子ども」もまた、排除するのである。
(中略)
少子化とはつまり、子どもは苦手だということである。都会の人なら、それはあまりにも当然であろう。子どもは自然であって、都会人は自然とのつきあいが下手な人たちだからである。

この章は衝撃を受けた。
そうか、子どもは自然だったのか。
だから少子化が進んでいるのか・・・

強調しておきたいのは、データや標本という情報を集める作業は、自然とはどういうものであるかを把握する作業だということだ。自然は膨大で、非常にディテールに富んでいるから、情報を集める作業も膨大でディテールに富んだものになる。われわれにできるのは、情報を少しずつ集積し、実体と関係づけながら読み解いていくことである。そのなかで、自然がしだいに把握できていく。それが、自然というシステムを理解することであり、環境問題に取り組むときの基礎になるのである。
(中略)
このあたりを説明しようとすると本がもう一冊になる。標本が大切だという話をしても、こちらは疲れるだけである。面倒くさいから、明治のころと同じように、イギリスと見習え、というしかない。だてに大英帝国が成立したわけではない。イギリスが植民地を上手に統治し、「侵略」したくせに、現地の人にさほど恨まれていないのは、なぜか。複雑な現実を、ていねいに情報化しているからである。ダーウィンの仕事を見ても、それがよくわかる。文化人類学という分野も、それで成立したのである。

とても大切なことだと思うが、いまいち腑に落ちない。
自分の現実にうまく当てはめることが出来ないからだと思う。
覚えておこう。

「どうしたらいいか」という質問は、シミュレーションが成り立つことを前提にしている。自然に対しては、それが成り立たないことが多いのは、すでに説明した。システムが「ああすれば、こうなる」ようになっているかどうか、そもそもそこがわからない。だからカオスなのである。それならまったくわからないかというなら、わかることもある。じゃあ、なにが問題なのか。「どうすればいいのか」と質問する人の考え方が問題なのである。どうしたらいいかわからないことは、人生には山のようにある。それを認めたうえで「辛抱強く、努力を続ける根性」が必要なのである。自然を相手にしていれば、ひとりでにそうした性格が育つ。それないのが、都会人なのである。即座に答えが出ることを求めるからである。

まず認める。そして辛抱強く、努力を続ける。


こう結論づけてしまうとありきたりのことに
聞こえてしまうのが恐い。

第一の問題は最初の情報化にある。実体を情報化するには、ほとんど無限のやり方がある。情報は実体の一面にしかすぎない。それが明確にわっているなら、情報化には意味がある。
ふつうは「一面では意味がない」と考えるであろう。そうではない。一面だけをとらえてシステムが「わかった」と思うのも誤りなら、「一面しかわからないからダメ」というものでもない。われわれがシステムの限られた面しかとらえることができないのは、わかりきったことではないか。
だからたえず「実体の情報化」に戻る必要がある。それが科学の本当の意味である。実体の情報化が自分でできるためには、五感のすべてを使って、実体に触れる必要がある。

そして養老さんは
「参勤交代」を提案する。


面白いな。


自分もずっと何か身体を使う機会や
田舎や自然に触れる機会を作ろうと考えていたが
それがなかなか難しい。


ん〜どうしたものか。