【5想】 子どもと悪 / 河合隼雄
まんびきはしたことないけど
わたしはひとのこころをぬすんだ
ぬすんだこともきづかずに
へやにかぎはかけないけど
わたしはこころにかぎをかける
かぎのありかもわからずに
うそはついていないけど
わたしはほほえんでだまってる
ほんとのきもちをだれにもいわずに
いいこだから わたしはわるいこ
ネットで調べてわかったけど
これ谷川さんの詩だったんだ。
この詩に結構なショックを受けて読み始める。
その万引衝動は、あるとき突然に消えていった。
(中略)
このことを聞いて私が思ったのは、「万引活動」と「創作活動」とは、根っこのところで微妙につながっている、ということであった。
(中略)
創作として自分の内にあるものを表現する前に、外にあるものを何がなんでも自分の内に取り込みたい、という気持ちが高まったものと思われる。しかし、それは明確に意識されたものではなく、存在の深みのなかでうごめいているものだけに、「悪」の形を取りやすく、万引という欲求として姿を顕わしてきたのであろう。
ここで取りあげたいのは、大人の「善意」がもたらす悪である。親、あるいは教師として、子どものためにと思ってすることが、結果的に「悪」、つまり子どもの成長を歪ませたり、阻害したりすることになる。
(中略)
どうしてこうまで大人は子どもに善意の押しつけをするのだろう。基本的には、子ども自身の成長の可能性に信頼を置いて待っておればいいのに、それができない。なぜ、子どもを信頼できないのか。それは自分自身を信頼できないからである。
自分はどちらかというと過保護に育てられた。
そして「悪いことは絶対いけない」と
かなり言われていたことも思い出す。
そしてそれが今の自分を苦しめているのを
ときどき感じるときがある。
悪いことはいけない。
周りに迷惑をかけてはいけない。
約束は守らなくてはいけない。
まぁ世間では当たり前のことであるが
本当にそうなのであろうか。
いろいろ考えさせられた。